自我についての研究は、心についての研究ではない。 自我を「分析」しようとすることで、自我の重要性を承認する研究者たちの取り組みには、自我は手放しで賛同している

自我についての研究は、心についての研究ではない。 実際、自我は自分自身を研究することを楽しんでいる。 そして、自我を「分析」しようとすることで、自我の重要性を承認する研究者たちの取り組みには、自我は手放しで賛同している。 だが、彼らは無意味な内容をもった形態を研究しているにすぎない。 なぜなら、彼らの教師は無分別だからである。 印象的に響く言葉の背後にこの事実を隠蔽するために細心の注意を払っているが、それらの言葉は、つなぎあわせてみれば一貫した意味をなさない。

 

奇跡講座テキスト 第14章  十 奇跡の一様性  8. /2