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救済とは、(自我の)取り消しである。 肉体を見る(霊〔聖性〕を見ない)ことを選択するなら、あなたは分離の世界や、相互に無関係なものごとや、まったく意味をなさない出来事の数々を見ることになる

 救済とは取り消しである。 肉体を見ることを選択するなら、あなたは分離の世界や、相互に無関係なものごとや、まったく意味をなさない出来事の数々を見ることになる。 一つの肉体が姿を現しては死んで消え去るかと思えば、別の肉体には苦しみと損失の運命が定められている。 そして、誰一人として、一瞬前の自分と厳密に同じではなく、一瞬の後には、今の自分と同じではなくなる。 これほどの変化がみられる場所にあって、誰が信頼を抱くことなどできるだろうか。 塵にすぎないものだというのなら、誰に価値があるというのだろう。 救済とは、こうしたことのすべてを取り消すことである。 なぜなら、救済がその瞳を、罪悪感が保持されるための代価を見ることから解放したとき、その者たちの視覚には、恒常性が生じるからである。 それは彼らが、罪悪感を保持せずに手放すという選択をしたからである。

 

奇跡講座テキスト  第31章  六 霊を認識する  2.