· 

自分自身を信じようとするときに直面する恐怖、それは単に席から立ちあがること

最終更新:  作成開始: 5-01-01 最後↓

 

自分を信じるなんて恐ろしくてできない?

 前回の記事で、赦しよりも最初に「自分とつながる」話をした。

 「自分で自分をダメだと否定することを止める」決意が必要だとも申し上げた。

 「自分自身を何よりも優先する」ことが大事だという話をした。

 それには「自分自身を信頼している」ことが重要だとも話した。

 

 「自分自身を信頼する」。 信頼してこなかった人やそもそも信頼することが出来ない人にとって、超難題となる。

 

 彼らにとって自分で自分のことを信頼するというのは、あまりにも恐ろしいことなのだ。

 

「もし自分を信じて失敗したらどうしよう。 ひどい目に遭うかもしれない。 地獄を見るかもしれない。 後ろ指差されるかもしれない。 こんなダメな自分を信頼していいのだろうか。 いいわけがない。 責任が取れない。 いや責任なんて取りたくない。」

 

 こればっかりはどうしようもない。

 いつかは・・・・傍点)自分のことは自分で面倒を見ると決意しなければならない。

 自分のことは自分の責任なはずなのに、いつまでも他人任せでは無理に決まっている。

(いや、面倒を見てくれる、自分以上の判断で私をより良い方向へ導びいてくれるそんな人がいるはず、そうに決まっている、というのならそれはそれでいいが。)

 

 もちろん今のまま自分の責任を負わずに生き続けることがダメなわけではないし、構わない。 そして、多くの人が現在もそういう生き方の上にいる。

 そんな生き方だったとしても、問題はない。

 その生き方から何かを感じ、いずれ次のステップに進むときがきっとやって来る。

 

 だが、人によっては「もう人任せはイヤだ。 自分の面倒は自分で見たい。 自分のことは自分で責任を負いたい。 そのためにはどうしたらいいのか私は知りたい。」そういう人もいるだろう。

 

 そんな人にとって朗報である。

 あなたは今座っている席から立ち上がることは出来るだろうか。

 席から立つなんて簡単なこと。

 簡単なことだとあなたも思うはずだ。

 そう、自分を信じることなんて、単に席を立つくらい簡単なことなのだ。

 いやいや、簡単に言ってしまったが、ある人にとっては席から立つだけのことなのに、とても難しく思える人もいる。

 

 どういうことかと言うと。。

 

 

 

席から立つ、それが難しい

 想像してほしい。 卒業式の会場に整然と並べられた椅子、そこに参列者ならびに生徒全員が静かに着席している。

 もうわかったかもしれないが、

 その中にあなた自身も着席している。

 卒業式のまっただなか。

 りん傍点)と静まり返った卒業式の全体の場。

 突然あなたは席から立ち上がり、全員の視線が自分に向けられる中で自分一人が退席する、というもの。

 (もちろんあなたは誰かに呼ばれたわけではない。 自らの意志で。)

 さあ、あなたは席を立ち上れるだろうか。

立って出ていくことなんて、簡単だ。

いや、その場で立ち上がることすら、とてもできないかもしれない。

 自分を信じるということは、それくらい簡単であり難しい

 結局のところ席から立つことは、物理的には何も妨げるものはないのだから簡単なはずである。

 あるとすれば、心理的抵抗があるだけ。 そしてそれは簡単である。 

 「そうする」とあなたの心が決まれば。

 

「私の面倒は私が見る。 自分のことは自分で責任を負う。 その覚悟が私にはある。」

 

 「そうしたい」から「そうする」への移行

 

決心、覚悟である。

 

 

 

決心したいなら

 そうしたいという気持ちのみで、他の気持ちがなければ、すぐに決心がつくし、覚悟は決まる。

 

だが今はまだ決心がつかない。 覚悟が決まらない。

 

 それでも決心したいというのであれば「その心理的抵抗。 決断を邪魔するもの。」これをよく見ることだ。

 

「そうしたいのにそうしたくない、その解放されたくないという自分の気持ちをあなた自身が認識する」ことだ。

 

 なぜ今の自分には難しいのか、難しいと思っているのか、なぜ今の私にはそれができないのか、したくないのかを見ればいい。

 決断を邪魔している何か、つまり恐れを直視することだ。

 恐れから逃げることなく、恐れに向き合うことだ。

 (恐れに向き合いたいのに向き合えないのであれば、逃げたくないのに逃げている自分がいるのであれば、同様に向き合うのを邪魔しているものをよく見ればいい。)

 

やることはそれだけだ。

 

 前回の記事に書いたことをやるだけである。

 

 

 

解放されたくないという自分の気持ちをあなた自身が認識することで、聖霊の完璧な意欲があなたに与えられる。

 

 奇跡講座テキスト 第16章  六 実相世界への橋  12. より 

 

 

 

 

 あなたに聖霊の完璧な意欲が与えられる。

 まさに幻想直視である。

 

 一人で取り組むのは最初は難しいかもしれない。

 それでもまずは取り組んでみて欲しい。

 その意欲こそが大事だから。

 

 私の提供しているセッションもこの幻想直視に集約される。

 

あなたの意欲の方向性を確認し、無意識下にある心理的抵抗の核を意識化させることで、あなたに真実が明かされる。

あなたはそれを知る。

聖霊の完璧な意欲が与えられる。

 

 

 

幻覚はその正体が認識されたときには、消え去る。 これが癒しであり、治療法である。 幻覚を信じるのをやめなさい。 そうすれば、それらは無くなってしまう。 そしてあなたがする必要のあることはただ、自分がそれらを作り上げたのだと認識することだけである。

 

 奇跡講座テキスト  第20章  八 無罪性の心眼ヴィジョン  8. より

 

 

 

幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。 見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。 幻想が危険なはずはないのだから、幻想からしり込みする必要はない。 私たちには、自我の思考体系をもっと詳しく見る準備ができている。

 

 奇跡講座テキスト 第11章  五 自我の「力動論」  1. より

 

 

 

 

 健闘を祈る。