このむなしい想像と心眼との間には明らかに違いがある。 その相違はそれら自体の中にあるのではなく、それらの目的の中にある。 どちらも手段であるにすぎず、いずれも、それらを採用する目的にとっては、適切な手段である。 どちらの手段も他方の目的に仕えることはできない。 なぜなら、それが目的の選択であり、それぞれの手段のために採用されるものだからである。 どちらも意図する目的無しでは無意味であり、その意図から切り離した単独のものとして価値を認めることはできない。 ゴールの価値が認められているからこそ、手段が実在するかに見えるのである。 そしてゴールが罪でない限り、裁きには何の価値もない。
奇跡講座テキスト 第20章 七 手段と目的の一貫性 7.