神の国は前提(全一性)からもたらされる結果(神の平安)であり、この世界(自我の前提/分離)も同様(こちらは混乱)である。 その(自我の論法による結果の)中の一部を少しでも望むとしたら、その唯一の理由は、あなたがその全体を見ていないからである

 神の国は前提からもたらされる結果であり、この世界も同様である。 あなたは自我の論法をその論理的帰結に至るまで推し進めてきたかもしれないが、その帰結とは、あらゆるものごとについての完全な混乱である。 あなたがこの結果を真に見たとしたら、それを望むことはあり得ない。 その中の一部を少しでも望むとしたら、その唯一の理由は、あなたがその全体を見ていないからである。 あなたは自我の前提は喜んで見ようとするが、その論理的帰結を見ようとはしない。 あなたがの前提についても同じことをしたということは、あり得るのではないだろうか。 あなたの被造物たちは、の前提からの論理的帰結である。 神の思考が彼らをあなたのために確立した。 彼らはまさしくそれらが属すべきところに居る。 彼らは、神の心と同一化したあなたの一部として、あなたの心に属している。 しかし、あなたの心の状態と、自分の心の中に何があるかについてのあなたの認識は、あなたが自分の心について何を信じているかにかかっている。 これらの信念がいかなるものであれ、それらが、あなたが心の中に受け入れるものを決定する前提である。

 

奇跡講座テキスト 第7章  十 苦痛と喜びの混同  1.