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あなたはため息をつき、今は理解できないが、いつかわかるだろうという「理性的思考」をもって満足しようとする

 善なるものが、なぜ悪の形で現れなければならないというのだろう。 そのように現れるなら、それは欺瞞ではないだろうか。 そもそももしそれが現れるのであれば、それはここにある。 それならば、なぜその結果がはっきりと見えていないのだろうか。 なぜ未来にあるというのだろうか。 そして、あなたはため息をつき、今は理解できないが、いつかわかるだろうという「理性的思考」をもって満足しようとする。 そしてその後いつか、その意味が明らかになるだろう、というのである。 これは理性ではない。 なぜなら、それは不公正であり、明らかに、解放の時が間近に迫るまで続く処罰というものを暗示しているからである。 善なるもののために目的が変更されているのであれば、災難に襲われる時間枠を、今は苦痛の形をしているがいつの日か「善」となるものとして、知覚すべき理由はない。 これは今を犠牲にすることである。 このようなことは、聖霊自身が何の代償もなしに与えたものに対して、聖霊が求める代価ではあり得ない。

 

奇跡講座テキスト  第26章  八 救済の即時性  7.