理性(正しい心/聖霊の思考)は、神聖な関係をありのままに見る。 自分たちがひとつの存在として幸せに癒されることを願って、両者が共に誤りを喜んで訂正へと差し出すような、双方に共通の心の状態と見る

 神聖な関係は、たとえまだ生まれたばかりであっても、何よりもまず聖性に価値を置く。 神聖でない価値観は、自覚の中に混乱を生み出すことになる。 非神聖な関係においては、一方が他方の罪を正当化するように見えるという理由で、それぞれに価値が置かれている。 双方が相手の中に、自分の意志に反して自分に罪を犯させるものを見る。 そのようにして、彼は自分の罪を相手になすりつけ、自分の罪を永続させようとして彼に惹きつけられるのである。 それゆえに、自分自身が罪を実在させたいという欲求によって罪を引き起こしている当事者だということが、どちらにも見えなくならざるを得ない。 だが理性は、神聖な関係をありのままに見る。 すなわち、自分たちがひとつの存在として幸せに癒されることを願って、両者が共に誤りを喜んで訂正へと差し出すような、双方に共通の心の状態と見るのである。

 

奇跡講座テキスト  第22章  三 理性、および、誤りの形態  9.