神は教えることはしない。 教えるということは欠乏を示唆することであり、神は欠乏などないと知っている。 神は葛藤してはいない。 教えるということは変化を目指しているが、神は不変なるものだけを創造した。 分離とは完全無欠性の喪失ではなく、親交の破綻であった。 そして自我の声という不快で耳ざわりな形のコミュニケーションが生じた。 それは神の平安を打ち砕くことはできないが、あなたの平安を打ち砕くことはできる。 神はそれを抹消することはしなかった。 なぜなら、それを根絶することは、それを攻撃することとなるからである。 問われた神は、問い返さなかった。 ただ答えを与えただけである。 神の答えが、あなたの教師である。
奇跡講座テキスト 第6章 四 唯一の答え 12.