【奇跡講座】

【奇跡講座】 · 5月 19日, 2024年
究極的には「この世界は幻想」だが、実際のところ我々にはこの世界はリアルに存在すると感じられるため、「この世界は幻想」と連呼したところで意味はない。そして「あなたは幻想を見ている」の意味は、ここでは外側の世界が幻想なのではなく、自分自身の心の内側にある誤った判断基準に対して「幻想を見ている、幻想を参照している」と言っている、そういう意味である。

【奇跡講座】 · 5月 19日, 2024年
幻想直視は普通の人にとっては難易度が高い。なのでまずは比較的やさしい訓練から始めるといい、それが「赦しのトレーニング」。だが、このトレーニングも自分に聞いて「やりたくない」のであればやめておく。また、「幸せになるために」やるのであれば意味はない。「なぜだかわからないけど、自分はやりたい」そういう人がやるものである。

【奇跡講座】 · 5月 18日, 2024年
自分自身の本音、心の声には2種類ある。このどちらの声も尊重し正しく聞いてあげることが重要であり、特に自我の声のほうは、更にその奥にも声があり、それを紐解いていくことで最終的に勘違いに気づき、幻想が解除される。これが幻想直視であり赦しである。自我を非難せず愛し受け入れ寄り添う姿勢こそが、幻想直視における必須姿勢と言える。

【奇跡講座】 · 5月 17日, 2024年
「自分を愛する。」その方法はない。これは方法論ではなく、意欲の問題。それは自分自身に向けた自分自身の愛から始まる。それは自分に向けた慈愛の姿勢。だが今のあなたに慈愛の姿勢を決める自由はない。へとへとになったとき準備が整う最も近いところにいると言えるかもしれない。

【奇跡講座】 · 4月 10日, 2024年
確かに神の意志は赦すことである。だが、単にあなたが神の意志を選択すると言っているのなら、結果的に神への攻撃となってしまっている。その理由を説明する。

【奇跡講座】 · 2月 06日, 2024年
奇跡講座はどんな教えなのか。何をすることなのか。あまりにも誤解されている。正しく理解されていない。みんなよくわからずに取り組んでしまっている。これはとてもとても重要なこと。他の数ある教えと何が違うのかを見たほうが分かりやすいと思うので、その対比で見ることにする。

【奇跡講座】 · 9月 01日, 2023年
自分の内にあるもの=知覚、であり、それが投影されるのか 投影されたものを知覚するのか ふたつとも違うのか かなり基本的な部分かもしれませんが、投影と知覚について改めて教えて頂けないでしょうか。 

【奇跡講座】 · 8月 31日, 2023年
1、この自我がつくった世界がみせるもの、美しいものを美しいと感じて良いのか、楽しいことを楽しいと感じてよいのか、人の優しさに感動、感謝してよいのか、を悩むときがあります。肉眼に映るものは自我の作り出したものであり、特別な関係であり、一切は自我の策略で騙されるものか、そのように考えると虚しく、気が滅入ることにもなります。 2、自分の肉眼でみるものはすべて自分(この場合の「自分」は分離した迷い人)の内なる思考の投影であり、逆に言えば自分の内にないものは投影されない、人生で遭遇はしない、という理解になるのでしょうか?

【奇跡講座】 · 8月 30日, 2023年
Q1.はじめから他者に期待しない、なにがあっても「そもそも人間などそんなものだし期待しない」という考えにしました。・・・ 他者をみて、裁かずに、「自我の他者はそんなものだ」で留まってます。・・・ これもまた自我の思考体系になるのでしょうか? Q2.もし自我の選択だったとしても、いまの自分はそれがしたいのだから、他者や世界に期待しないという信念を自分がいやになるまでやっていけばよい(やっていくしかない)ということになるのでしょうか?

【奇跡講座】 · 8月 29日, 2023年
>”園長は罪悪感が無いのではなく、罪悪感があるからこそ嫌な気持ちになり、このような言動をとったと見ます。 嫌な気持ちがなければ(罪がなければ)そもそもこの言動はあり得ないと思います。” 「嫌な気持ちがなければ(罪がなければ)そもそもこの言動はあり得ない」が腑に落ちないのですが、本当は罪悪感があるがわざと強がっている、というような意味に捉えればでしょうか? >”また、基本的に奇跡講座は他者の罪の分析には意味がない(むしろ危険)と言っています。自分の罪こそが焦点です。” ありこれはどこかで聞いたことがあります。手帳に自戒の言葉として書き留めておきたいと思いますので、もしお分かりであればテキスト(ワークブック?)の該当箇所を教えていただけますでしょうか。

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