最終更新: 作成開始: 最後↓
質問
-
管理人様
すいません、一番お聞きしたかったことが抜けていましたので、返信より先に追加で書かせてください。
罪(と見えるもの)を幻想世界で犯した(ようにみえる)場合、反省、謝罪、懺悔は必要ないのでしょうか?
ワープニックさんの本を読み、幻想だから何をしても良いわけではない、ということは理解することができました。
ただ、反省、謝罪、懺悔は必要ないのだろうか?と悩んでしまいます。
形は意味はないのであれば、せめて心の中ででも「申し訳なかった」という考えを持つことは大事なことに思います。もちろんいつまでも繰り返し繰り返し申し訳ないと思い続けるのは自分への攻撃であり、自我の策略に思います。
しかし、全くの無反省、申し訳ないという気持ちすら持たなくてよいのか、がわかりません。奇跡講座でそれについてどう述べられてるか、お分かりであれば教えて頂けると幸いです。
宜しくお願い致します。
回答
-
迷い人さんへ、真摯な質問ありがとうございます。
追加の質問ですね。お答えします。
Q.罪(と見えるもの)を幻想世界で犯した(ようにみえる)場合、反省、謝罪、懺悔は必要ないのでしょうか?
(中略) 形は意味はないのであれば、せめて心の中ででも「申し訳なかった」という考えを持つことは大事なことに思います。もちろんいつまでも繰り返し繰り返し申し訳ないと思い続けるのは自分への攻撃であり、自我の策略に思います。
しかし、全くの無反省、申し訳ないという気持ちすら持たなくてよいのか、がわかりません。
A.まず奇跡講座以前として、反省、謝罪、懺悔は自分がどうしたいかですし、しろとかするなとか言われなくてもしているものです。 自分自身に聞いてしたいことをしましょう。
奇跡講座でいけば、実相と一致していれば(心が癒されていれば)黄金律に則って適切な行動が生じます。 実相と一致していなければ何をやっても不適切な行動となります。
適切な行動を取るには、まず実相とのずれを癒す必要があります。
つまり赦す必要があります。
実相とのずれは「嫌な気持ち」として現れます。
罪と見えるものを幻想世界で犯したように見える出来事を通して何がいちばん嫌なのかを特定する必要があります。
すでにご存じと思いますが、嫌という気持ちは幻想です。
癒されている心には嫌と言う気持ち(脅かされる思い)はありません。
ですので、嫌という気持ちは何かしら勘違いをしている、ということです。
この勘違いを解く必要があります。
つまり幻想直視を行う、ということです。
幻想が解ければ適切な行動ができます。
それはまったくの無反省かもしれませんし、申し訳ないという思いから何らかの行動がでるかもしれません。そのときの行動はつねに適切なものとなります。
コメントをお書きください