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よくある自己受容のやり方の問題点

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 自分を受け入れる、つまり自己受容は赦しの中でも重要な一つ。

 自己受容はどのようにすればいいのか。

 方法やワークは検索すればすぐに出てくる。

 だが、これには問題がある。

 

 

自分のありのままを認める(自己受容)とは

 まず自己受容について確認する。

 以下、いくつか引用。

 

 

 

「ありのままの自分」とは、ただそのままの自分を認め、受け入れている状態を指します。 どんな状況であろうと、自分のことを客観的に受容できている状態ですから、ある種「悟りの境地」のような状態ともいえます。

 

 「ありのままの自分」を認めて幸せになる方法 - マイナビウーマン より

 

 

 

「自己受容」とは、できない自分をありのままに受け入れること。 コンプレックスや欠点、短所を抱える自分、失敗だらけの自分、ネガティブの自分を、そのまま肯定し、受け入れることです。 「今のままの自分でいい」「今のまま生きていい」、その感覚が「自己受容」です。

 

 自己肯定感が低すぎてつらい人のための処方箋 - 東洋経済オンライン より

 

 

 

自分のありのままを認めるとは、「イケてる」も「ダメ」も自分が無自覚につくり出した「概念」でしかないことに気づき、「イケてる」「ダメ」の真ん中にある線を引いて自分を評価・判断せず、どちらの自分もあるのが自分だとひとつの円(〇)である自分をすべて、ただ認めることです。 こうして自分にあるすべてを「ある」として認めることが、自分を受容するということ(自己受容)です。

 

 『ザ・メンタルモデル ワークブック』(P.38) より

 

 

 

 

 

一般的に見られる自己受容の方法

 これもネットで検索すればいくつも出てくるが概ねこんな感じ。

 

 

 

自己受容をするためには、自分自身を安心させてあげることも重要になります。 自己否定や他者否定から込み上げてくる傷ついた感情は、しっかりと気づき認めることが大切です。 起こった感情を否定したり、突き放すことをせず、「そう感じるのは当たり前」・「そのままでOKだよ」と受け止めましょう。

 

 【自己受容とは】自己肯定できないあなたに伝えたい、自分を より

 

 

 

 

 

何が問題なのか

 「そのままの自分を認め、受け入れる」、「自分をありのままに受け入れる」、「そのまま肯定し受け入れる」、「自分を評価・判断せず、すべて、ただ認める」、「そう感じるのは当たり前、そのままでOKと受け止める」などもっともな意見が並んでいる。

 

 このやり方で自己受容に至れることもあるだろう。

 

 

だが自己受容できない理由は、今の自分を認めらない、受け入れられないから。

 

 

 そもそも、自身のことを認められて受け入れられていたら、最初から自己受容の問題はない。

 自己受容の問題があるのは、自分のことを認められず、受け入れられないから。

 確固たる理由があるから。

 それを無視して自己受容しようとしてもそれはできない。

 判断するなと言っても、判断に価値を感じているから、そのように判断したいからジャッジせずにはいられない

 

 そこに対処せず「認めよ、受け入れよ、受け止めよ、判断するな」と言ったところで受容に至れるものではない。

 

 

 

ではどうしたらいいのか

 自己受容できない理由を明確にし、なぜそれを自分は認めないのか、受け入れないのかを確認する必要がある。

 なぜなら、ここに誤解や勘違いが内在しているから。

 この誤解や勘違いに気づくことで自己受容できない理由自体を白紙に戻せる。

 

 ただ、これをみんなしたがらない。

 避ける。

 できることなら自分に向き合うことをせず、自己受容できる方法を探している。

 少なくともその方法はこのサイトにはない。(他のところであるとささやかれるかもしれないが、もちろん試してみたければそれもいい。)

 

 そもそも自分自身を判断するなと言われてもそれは無理。

 判断するだけの理由や価値が無くならない限り、ジャッジは無くならない。

 

 逆に言えば、判断しろと言われても判断するに足るだけの理由や価値が無ければ判断できないし、判断しなくなる。

 だから、自分を認めることなどできないと判断を下しているその理由を明確に認識することが重要。

 明確にする過程において、理由が不安定だったりあいまいだったり、誤りであれば判断は崩れる。

 

 そしてそれ以上に大事なのが、「ほんとうに認めたいのか、受け入れたいのか」。

 

 意志の確認。

 

 認めたくない、受け入れたくない場合が意外に多くある。

 

 このことを無視して自己受容は不可能。 したくないのにしようとしている。 これはあきらかに矛盾している。

 

 

 

自己受容には幻想直視が必要

 自己受容をするには以上のように自分の判断となっていることがらを丁寧に向き合っていくことが必要。

 

 当方ではセッションで扱う。

 

 これは自分の判断の基準となっているもの、すなわち信念を確認すること。

 誤った信念は幻想そのものであり、すなわち幻想を直視していくことになる。

 だから赦しの実践そのもの。

 

 誤った信念そのものは実際バカげた(あるいはまともでない)ことなはずで、それを明らかにしていくことだから、今時点ではそれがどこの部分かは分からないけれど「自分はどうやら間違っている」といった認識はおぼろげにでもあるものだし、その直感は間違っていない。 それを個人的に向き合っていくとなれば、誰かに知られることに少なからず抵抗をもつだろうし、「間違うのはよくない」といった価値観があればより強い抵抗を示す。 解決するにはそこを超えていく必要がある。 あるいは一人でやるか。