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JACIMサイトQ&A【質問】No.73からです。
人間関係における赦しについての話です。 5人兄弟姉妹の間での争いについて、距離を置きながらも赦しはできるのか、とった内容です。
これに関しては、距離を置く置かないに関係なく、赦しはできる。 これが答えでした。(むしろ赦さないといつまでたっても解決を見ない、です。)
どんな赦しにおいても、問題は外側の出来事にあるのではなく、真の問題は自分自身の心の中にある、ということを認識することが赦しのスタート地点だとの確認がなされています。
では、その認識ができたとして、赦しにおける次のステップとなるのはどんなことなのでしょうか。
そこを見ていきます。
赦しのプロセスの次の段階
それでは、まずはQ&Aから引用してみます。(下線は当方にて)
赦しのプロセスの次の段階はどういったものになるのでしょうか。イエスは私たちに次のように告げています。
真の赦しへの扉を発見し、それがあなたを歓迎して大きく開かれるのを知覚するために、非常に簡単な方法がある。自分が何らかの形の罪について誰かを責めたいという誘惑にかられるのを感じるとき、彼がおこなったとあなたが思うことについて、心の中で考え続けてはならない。そうすることは、自己欺瞞である。そのかわりに、「私はこれと同じことをする自分を、責めたいだろうか」と自問しなさい。(W.pII.134.9)
自己譴責を明るみに出すために必要なことは、自分が彼らの何について非難しているのかを、あなた自身が識別することだけです。ただし、彼らがしていることの具体的な<形>ではなく、<内容>のレベルにおいて識別する、ということです。おそらく、あなたが非難していることは、「彼らは、自分だけの利益を他の皆の利益よりも優先させ、状況を上手くコントロールしたり操作したりして、自分自身の必要が確実に満たされるようにしたがっている。そして他の誰についても真の関心は抱いていない」といったことに関連する何かである可能性は高いでしょう。もしそうだとすれば、あなたは、自分に正直になって、母親に関するこの状況において自分はそれをしてはいないけれども、時には自分もそれと似たようなことをすることもあるということを、認める必要があります。
これは、誰かを非難しているとき、もし自分も彼らと同じようなことをするような場面があるなら、当然そんな自分をもあなたは非難するだろう、ということです。
つまりは、他者批難は自己非難である、ということです。
ここで大事なことは、「自分が彼らの何について非難しているのかを、あなた自身が識別する」ことです。
これを、「<形>ではなく、<内容>のレベルにおいて識別する」ということです。
今回のケースでは、おそらく『「彼らは、自分だけの利益を他の皆の利益よりも優先させ、状況を上手くコントロールしたり操作したりして、自分自身の必要が確実に満たされるようにしたがっている。そして他の誰についても真の関心は抱いていない」といったことに関連する何か』ではないかとワプニック博士は推測しています。
これは簡単に言うと、「自分の得になるように、相手や状況を自分都合に変えようとしている。 そのことしか考えていない」です。
そして、今回のケースでは兄弟たちはそうかもしれないけれども、別の状況ではあなただって同じことをしているでしょう? それを自分の経験から探ってそうだと認識しなさい、認めなさい、と言っています。
そこまでわかれば、あとは、「あなたがイエスまたは聖霊のもとに運んで癒してもらうべきものは、その自己譴責」ということで、そこから先は時間のかかるプロセスにはなるが絶えず赦しを行なっていくことでいずれ解決できる、と言っています。
JACIMサイトQ&A【質問】No.73より
https://www.jacim.com/acim/?p=5053
さらに赦しを進めるために
ここで、Q&Aには記述はありませんでしたが、私が実践しているやり方として、今回のケースにおいて、次のように実践しているので、参考になればと思い記述します。
全体の流れはQ&Aそのままですが、「自分が彼らの何について非難しているのかを、あなた自身が識別する」で出てきた回答をさらによく見ていきます。
ここでは、質問者による回答はないのでワプニック氏の推察による『「彼らは、自分だけの利益を他の皆の利益よりも優先させ、状況を上手くコントロールしたり操作したりして、自分自身の必要が確実に満たされるようにしたがっている。そして他の誰についても真の関心は抱いていない」といったことに関連する何か』ではないか、ということでした。
もし、これがそうだと仮定して、その先に次のプロセスを加えます。
「彼らは、自分だけの利益を他の皆の利益よりも優先させ、状況を上手くコントロールしたり操作したりして、自分自身の必要が確実に満たされるようにしたがっている。そして他の誰についても真の関心は抱いていない」。 それの何に自分は傷ついたのか? そんな彼らの振る舞いの何が自分は嫌なのか? です。
このように、さらに奥深く自己認識を探っていきます。
少し解説すると、本来の自分、真の自分であれば、嫌なもの(脅かされるもの)など何もないはずです。 にもかかわらず、嫌だ傷ついたと感じる。 もしそうなのであれば、そこに誤解、すなわち幻想、罪が埋め込まれているはずです。
これをさらによく見ていくプロセスを加える、ということです。
あなたは、いくつかの不正義は公平で善きものであり、自分自身を保持するために必要だと信じている。 大きくて解決不可能だとあなたが思っているのは、このような問題である。
奇跡講座テキスト 第26章 二 多くの形態、一つの訂正 6. より
このプロセスはワプニック博士の回答にはありませんでしたが、とても重要だと感じています。
私のセッションではこの部分をとても大事に掘り下げていきます。(セッション)
さらに赦しを押し進めたい方にはぜひお勧めしたい部分です。 参考になれば幸いです。