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聖霊の声は聞こうとするのに自分の本音、本心は聞こうとしないなんてナンセンス

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 前回の記事で、自分を愛する重要性を説いたが、もう少し補足していこうと思う。

 

 

聖霊も自分も同じ源(ソース)

 奇跡講座に取り組む人は、聖霊を聞こうと努力する。

 一方で、自分の本音、本心はないがしろにしている。

 

 

そんなのナンセンスだ。

 

あり得ない。

 

なぜなら同じ源(ソース/みなもと)だから。

 

 

 であるなら、まずは自分の本心のほうから。 自分の本心が聖霊よりだ。

 

 自分の本心に耳を傾けることができれば、必然的に聖霊も聞こえる。

 

 だからこそ、まず本気で自分の心の声に耳を傾けたい、聞きたい、その声に従いたいという意志が芽生えてこないと始まらない

 

 

心の声は簡単には見つからない

 そもそも自分の本音、本心は自我が覆いかぶさっているため、簡単には聞こえない。

 それを聞こうとするなら、自我が緩んだ隙を突くしかない。

 

 

リラックスした状態が必要。

 

 

 トイレに立ったときやお風呂に入っているとき、あるいはちょっとした休憩の合間やふとしたとき。

 

 好きなことをしているときなどはリラックス度が高まっているため比較的本心の声が聞こえやすい。

 

 また、奇跡講座や多くのスピリチュアルでは就寝前や朝起き掛けの自我の雑念がまだ少ないときに本心とのアクセスができるようワークを推奨しているのはそういう意味だ。

 

 

 とにかく自分が今よりもリラックスできるようにさまざまな工夫を凝らすべきだし、リラックスを妨げているものや今取り組んでいるものや仕事自体を減らすことから入る必要があるかもしれない。

 

 

可能なかぎり全部やるはずだ。 本気なら。

 

 

 だが、実のところこれらは小手先のテクニックに過ぎない

 

 

 本気で自分の心の声を聞きたいと真剣に思うなら、つまり自分を本気で愛したいと意志するなら、どうやればリラックスできるのか、どうしたら自分の本心とアクセスできるのかをさらに考えるはずだ。 そして次の結論に至るはずである。

 

 

自我の解除

 心の声を聞くにはリラックスが大事だと述べた。

 

 そもそもリラックスを疎外しているのは自我だ。 つまり恐れだ。

 

 恐れは緊張させ固くする。

 

 この恐れを無くせばいい。 解除すればいい。

 

 解除すればするほど、つまり恐れが無くなれば無くなるほど、当然リラックス度は高まる。

 

 リラックス状態が高まれば、本心とのアクセスがスムーズになる。 心の声が聞き取りやすくなる。

 

自我、つまり恐れを解除すればするほどよりリラックス状態が増す。 そうすればより本心も聞き取れる。

 

完全に解除すれば完全なリラックス状態となる。 そのときは本心が聞こえないことはあり得ない。 これこそが本来の自分の状態だ。

 

 

 そして、恐れはすべて自分自身の勘違い。

 

 勘違いは解除できる。

  

 

 勘違いである恐れを解除するにはどうしたら?

 

 それが赦しという実践方法である。

 

 

すべての発端は自愛の発露

 ここまで自分を愛する重要性、そして突き詰めれば赦しであると述べてきたが、とにもかくにもすべての最初の起動は分厚い自我の層の奥深くに眠るほんとうの自分から湧き上がる「自分で自分を愛する」という思い、自分に対する慈愛であり慈悲心の発露だ。

 

 自分の本心を本当に聞きたい、大切にしたいという思い、この自分への愛という意図が、自我を突き破って出てくる必要がある。

 

 そのわずかな光、種火、閃光。

 

 奇跡講座では「ささやかな意欲」を指す。

 

 このささやかな意欲という魂から湧き起こる閃光を元に、赦しによって自我を切り崩し光を広げていく。 本来の自分へと戻っていく。 これがへの帰還、に帰るである。

 

 

自分を愛そうとするな

 これは誤字ではない。

 「自分を愛そうとしなさい」ではない。 「愛そうとするな」である。

 

ここで大事なのは、愛そうとする前に「本心から、心の奥底からほんとうに自分を愛したいか」に正直に答えること。 つまり本心に本気で耳を傾けることだ。

 

 

 「自分を愛する」という真の意図は自我からは出てこない。

 自我から「自分を愛そう」としてもそれは無理な話しだ。

 できたとしても「自我としての自分を愛する」ことになる。

 そんなことをすれば自我が加速する。(まあそれでもいいが。)

 

 そして今のあなたは自我である。

 

 これは「感謝」も同じである。

 

 感謝も愛も同じく、しようとしてするものではない。

 

 「感謝するな」「愛するな」と言われても感謝したくなる、愛したくなる、心の奥底から湧き上がるもの。

 

 しようとする性質のものではない。

 

 言ってしまえば「睡魔」といっしょである。

 

 眠くもないのにいくら「今すぐ寝ろ!」と言われてもすぐに寝れるものではない。

 眠たいから寝る、ごく自然なもの。

 

 逆に「絶対に寝るな!」と言われても、もはやこれ以上起きていられないところまできたなら放っておいても寝るだろう。

 そういうもの。(なんとかして寝ようと頑張るのももちろんありだが。)

 

 感謝も愛もいっしょ。 恋も同じだろう。

 

 抑えようにもどうにもならない、どうしてもそうしたい、この思いが湧いてこないうちは感謝も愛も、恋することもない。 

 

 

感謝も愛もその気持ちに方法はない

 感謝の気持ちになる方法も愛する気持ちになる方法もない。

 

 それは「気持ち」。 湧いてくるもの。 工夫や何かでなんとかするものではない。

 

 それらは自然なもの。 自然の発露。

 

 方法があるとしたら、ひどい目に遭うことだ。

 予期せずひどい目に遭う、どん底に落ちる。 そうすることで見えなかったものが見えるようになる。

 そして、人生をどんなかたちでも生きていればいずれそうなる。

 自我で生きるということはひどい目に遭うということだから。(今世では達しないかもしれないが。)

 

 それは水おけに顔を浸けて押さえつけられるようなもの。

 誰しも苦しくてもがき何としても顔を上げようとする。

 これと同じ強烈な動機が必要。

 これが閃光。

 これが本気というもの。

 

 

序文「いつ受講するかだけがあなたの自由」の真の意味

 この魂からの閃光、強烈な動機、ささやかな意欲。

 これがいつあなたに湧き起こるかは分からない。

 理性で理解して何かが行われるプロセスではない。 頭で考えてどうこうできるレベルのものではないということ。

 

 つまり自我の努力でなんとかなるものでもない。

 

 そしてこの閃光こそが、いつ受講するかは自由という自由意志の発動の意味である。

 その発動は自我の自由にはならない。

 自我と同一化した今のあなたには決められない、そこに真の自由意志はないのだから。

 

 

 

これは奇跡についてのコースである。 必修科目である。 いつ受講するかだけがあなたの自由である。 自由意志とは、あなたがカリキュラムを編成できるという意味ではない。 ある時期に何を受講したいかを選択できるというだけのことである。 このコースは愛の意味を教えることを目指してはいない。 それは教えることのできる範囲を超えているからである。 しかし、愛の現存を自覚できなくしている障壁を取り去ることは、たしかに目指している。 愛の現存そのものは、生来あなたが受け継いでいるものである。 愛の対極は恐れであるが、すべてを包み込むものに対極はありえない。

 

 奇跡講座テキスト  序文  1. より 

 

 

 

 

 この閃光については真のリーダーシップ論に通ずるところがある。

 これについては次の記事で書くことにする。