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不本意な気持ちで(慈悲を)与える(つまり嫌々赦しを行う)ことは、その贈り物(神の想念/神の平安)を取得しないということである。 不本意な気持ちがなくなり、それが自分に与えられることを意志するようになるまで、その贈り物はあなたのためにとっておかれる

 不本意な気持ちで与えることは、その贈り物を取得しないということである。 なぜなら、あなたはそれを受け入れることを不本意に思っているからである。 それを受け取ることに対する不本意な気持ちがなくなり、それが自分に与えられることを意志するようになるまで、その贈り物はあなたのためにとっておかれる。 の正義は恐れではなく感謝を保証する。 あなたが与えるものは、あなたを含めて誰からも、失われることはなく、天国の中に大切に保管される。 天国には、神の子に与えられた宝物のすべてが神の子のために蓄えられており、それを受け取るために喜んで手を差し出す者であれば、誰にでも与えられる。 また、これらの宝物は与えられても減ることはない。 与えられる贈り物の一つひとつが、蓄えを増やしていく。 は公平だからである。 は、救済をからの贈り物と知覚することを不本意とする神の子の気持ちと戦うことはない。 しかし、それがすべての者によって受け取られるまでは、の正義が満足することはない。

 

奇跡講座テキスト  第25章  九 天国の正義  2.