こうして、肉体は、あなた自身についての理論となる。 ただしそこには、それ自体以外の証拠は準備されておらず、その(肉体の)視野の中にいる限りそこから抜け出す道はない

 こうして、肉体はあなた自身についての理論となる。 ただしそこにはそれ自体以外の証拠は準備されておらず、その視野の中にいる限りそこから抜け出す道はない。 それ自体の目を通して見るなら、それが辿る道筋は確かである。 それは成長しては衰え、栄えては死んでいく。 そしてあなたは、それから離れた自分を思い描くことはできない。 あなたはそれに「罪深い」という烙印を押し、その行為を憎み、それを邪悪だと裁いている。 それでも特別性は、「これは、わがいつくしむ子、わが喜ぶ者なり」とささやく。 こうして、その「子」は自分の「父」の目的のために働く手段となる。 それは「父」と同一でもなく、似てもいないのだが、それでも、「父」が望むことを「父」に差し出すための手段である。 これは、の創造の戯画化である。 なぜなら、わが子を創造したことがに喜びを与え、に証しを与え、の目的を共有したのと同じように、肉体は、それを作り出した想念をあかしし、その実在性と真理を弁護するために語るからである。

 

奇跡講座テキスト  第24章  七 出会いの場所  10.