(あらゆる)知覚は、何が見えるかをあなたに教えているように見える。 だがそれは、あなたが(自我、あるいは聖霊の想念を)教えた(兄弟と共有した、分かち合った)ことを証しするにすぎない。 それは、(あなたの自我、あるいは聖霊を土台とした)願望が外側に描き出されたものであり、あなたが真実であってほしいと望んだ形象である

この世界においては、手段と目的は分離している。 なぜなら、それらはそのように作り出されており、そのように知覚されるからである。 そしてそれゆえに、私たちはそれらを分離しているかのように扱う。 すべての知覚は、知覚の目的が理解されるまでは依然として逆さまになっているということを、心にとめておくことが肝要である。 知覚は手段ではないように見える。 だからこそ、何のためにそれを知覚するかということに、その知覚がどれほど依存しているか、その全容を把握することが難しくなっている。 知覚は、何が見えるかを、あなたに教えているように見える。 だが、それはあなたが教えたことをあかしするにすぎない。 それは願望が外側に描き出されたものであり、あなたが真実であってほしいと望んだ形象である。

 

奇跡講座テキスト  第24章  七 出会いの場所  8. /2