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肉体を自分の実相として知覚している間は、あなたはずっと、自分自身を孤独で剥奪感を抱いた者として知覚する。 剥奪感は、攻撃が正当化されるという信念であるから、攻撃を生み出す。 あなたが剥奪感を維持しようとする限り、攻撃が救済となり、犠牲が愛となる

 肉体を自分の実相として知覚している間は、あなたはずっと、自分自身を孤独で剥奪感を抱いた者として知覚する。 そして、その間ずっと、自分のことを犠牲になった被害者であり、他者を犠牲にする正当な理由をもつ者として知覚する。 というのも、犠牲と損失の感覚がなければ、誰も天国とその創造主を脇へ押しのけたりすることはあり得ないからである。 そして、犠牲と損失を経験したなら、誰が自分自身を修復しようと試みずにいられるだろう。 だが、あなたの試みの基盤が剥奪感が実在するという信念であるとき、どうしてあなたがそれを自分で達成できるだろう。 剥奪感は、攻撃が正当化されるという信念であるから、攻撃を生み出す。 そして、あなたが剥奪感を維持しようとする限り、攻撃が救済となり、犠牲が愛となる。

 

奇跡講座テキスト 第15章  十一 犠牲の終わりとしての降誕祭クリスマス  5.