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犠牲(一体性の犠牲/兄弟の誰かを一なる子から排除すること)が愛だと信じているあなたは、犠牲とは愛からの分離だと学ばねばならない

 犠牲が愛だと信じているあなたは、犠牲とは愛からの分離だと学ばねばならない。 なぜなら、犠牲は罪悪感をもたらし、それと同じように確実に、愛は平安をもたらすからである。 罪悪感は犠牲のある状態であり、平安は、あなたととの関係を自覚している状態である。 罪悪感を通して、あなたはと兄弟たちをあなた自身から除外する。 平安を通して、あなたは彼らを招き戻し、あなたが招いたところに彼らが居ることを認識する。 あなたが自分自身から除外するものは、恐ろしく見える。 なぜなら、あなたはそれが自分の一部であるのに、それに恐れを付与して外に投げ捨てようとしているからである。 誰が自らの一部を忌まわしいと知覚しながら、自らの内に平安に生きることができるだろう。 また、天国を外に放り出し、それに地獄の属性を与えることによって自分の中の天国と地獄との「葛藤」を解消しようとしながら、誰が自分自身を不完全で孤独な者として経験せずにいられるだろう。

 

奇跡講座テキスト 第15章  十一 犠牲の終わりとしての降誕祭クリスマス  4.