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尊大さ(自我による理想の自分像)とは、常に絶望を隠すための覆いである。 それは、卑小さ(罪/奇妙な自分像/実相の誤認)は実在するという信念に基づいて、あなたの卑小さを打ち消そうとする試みである。 尊大さの本質は、(神に対する)競争心である

 尊大さとは、常に絶望を隠すための覆いである。 それは実在しないので、希望がない。 それは、卑小さは実在するという信念に基づいて、あなたの卑小さを打ち消そうとする試みである。 この信念がなければ尊大さに意味はなく、あなたがそれを望むことはあり得ない。 尊大さの本質は競争心である。 なぜなら、それはいつでも攻撃を伴うからである。 それは凌駕しようとする妄想的な試みであり、取り消そうとする試みではない。 私たちはすでに、自我は猜疑心と凶暴性の間を揺れ動くと述べた。 あなたが自分自身に絶望している間は、自我は猜疑心をもち続ける。 あなたが自己卑下に甘んじることをやめて、苦しみの軽減を求めるという決断をすると、自我は凶暴性に移行する。 それから、自我は「解決策」として、攻撃という幻想をあなたに差し出す。

 

奇跡講座テキスト 第9章  八 壮大さと尊大さ  2.