· 

「安らかに休み給え」とは、死者のための祝福ではなく、(真に)生きている者(幻想から目覚める者)のための祝福である。 休息(神の平安)は、眠る(夢見/自我と同一化する)ことからではなく、(真理に)目覚めることからやってくるからである

「安らかに休み給え」とは死者のための祝福ではなく、生きている者のための祝福である。 なぜなら、休息は眠ることからではなく、目覚めることからやってくるからである。 眠りは退避することであり、目覚めはつながることである。 夢とは、つながり合うという幻想である。 なぜなら、夢は、つながるとはどういうことかについての自我の歪んだ考え方を反映しているからである。 だが、聖霊にとっても眠りには用途があり、もしあなたが承諾するなら、聖霊は目覚めのために夢を用いることができる。

 

奇跡講座テキスト 第8章  九 訂正された知覚としての癒し  3. /2