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カリキュラムのゴールは、「汝自身を知れ」である。それ以外に求めるべきものは何もない。
以下、奇跡講座テキストより引用
あなたがどちらの教師を選ぶかにかかわりなく、カリキュラムのゴールは、「汝自身を知れ」である。 それ以外に求めるべきものは何もない。
奇跡講座テキスト 第8章 三 神聖な出会い 5. より
赦しの理解
誰もが自分の中に「ある」ものを「ない」と誤認識していることに気づかずに「ない」を何とかしようとして生きている
誰もが自分の中に「ない」と思いこんでいる力と栄光を何とかしようとしてこの人生を格闘して生きている。
誰もが自分自身を探しており、自分が失ったと思いこんでいる力と栄光を探している。 誰かと共に居るときはいつでも、あなたはそれらを見つける新たな機会を手にしている。 あなたの力と栄光は彼の中にある。 それらはあなたのものだからである。 自我はどこを探せばよいのかわからないので、それらをあなただけの中に見つけようとする。 聖霊は、あなたが自分だけを見ているなら自分自身を見出せないと、あなたに教える。 なぜなら、それは本来のあなたではないからである。
奇跡講座テキスト 第8章 三 神聖な出会い 5. より
「不足」をなんとかしようとして生きている。
不足からくる恐れ、それはすなわち自我から生きている。
これこそが思いこみであり勘違いだ。
この勘違いによって生じるのが獲得思考であり、回避行動。
他者との関わりにより生じるネガティブな感情を元に自分の内面を深く深く探っていけば、失ったと勘違いしていただけで、それは最初からあった、持っていたという智識に到達する。(自己聖性の認識)
これが赦し。
ここに到達すれば今まで行っていた獲得思考や回避行動にはもはや何の意味もないために撤廃され、「赦しは、じっと静かにしていて、何もしない。」(W-Ⅱ. 1. 赦しとは何か)が真に達成される。
赦し実践の主要プロセス
赦しに必要なのはまず自我由来の信念を突き止めること
必要なのは、まず次のことを突き止めること。
- 今採用している行動や考えは何を獲得しようとしているのか、何を回避しようとしているのか(回避行動も回避された状態の獲得)
- その奥にある、自分には何が必要だと思っているのか、すなわち今自分は何が「ない」と思いこんでしまっているからそれを獲得しようとしているのか
赦しには恐れを土台にした自我由来の信念を突き止める作業(幻想直視)は避けては通れない。
そしてこの「ない」と思いこんでしまっているものを明確に出来たら、最後は心の中に答えを待つ作業に入る。
失ったと思いこんでいる力と栄光とは、無垢性であり完全無欠性。
- それがなぜ「ない」と今の自分は思いこんでしまっているのかをじっと心の内側を見つめる
自分の中(聖霊)から答えがやってくることで奇跡講座の「奇跡」が訪れる。
狙って赦せるかどうかが鍵
幻想直視の方法は『奇跡講座』に具体的記述はなく、そこは各人に任されている。
だが、初期の頃は特に赦す対象が数多く存在するため、たまたま成立するような直視では話にならず、意図して(狙って)赦していけるかどうかが鍵となる。
つまり「これはもう赦そう」と取り組めば赦せるものとなっているか。
赦しが完了しないにしても、少なくとも、自分自身でその理由を明確に認識できていることが重要だと考える。
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