最終更新: 作成開始: 4-12-19 最後↓
それはワークブック編に書いてある
『奇跡講座』ワークブック編に以下のような記述がなされている。
平安を求める願望が真のものであるとき、平安を見出す手段は、それを誠実に探し求めるそれぞれの心が理解できる形で与えられる。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 185 6. より
そう、これに尽きる。
「平安を求める願望が真のものであるとき」つまり本気か、ということ。
奇跡講座でいうところの意欲の問題だけ。
そういう意味では、私には真の意欲があった、そして与えられた。 それだけである。
私は勘違いもしていた。
それは、あまりにも自分自身に与えられたそのやり方が機能しすぎて、さらに今もまだ機能し続けており、また、他の方の赦しの支援にも絶大なる効果を発揮しているため、万人に必要なものだと錯覚していた。
そうではないんだ。
誠実に赦しを求める本気の姿勢こそが、各人にあった最適なやり方が与えられることを。
だからやり方なんて探し回らなくったっていい。
探したって見つからないか、見つかったとしても機能しないのであれば、あなた自身の意欲を疑ったほうがいい。
ひょっとするとその意欲は自我からのものかもしれないのだから。
いくら意欲があったとしても自我からのものでは機能しない。
それを判別する方法?
散々ブログにも書いてきた。
セッションでもそれを最初に判別する。
もし本気なら、あるいは判別が自分では分からないのであれば、セッション受講もひとつの選択肢かもしれない。
しかし、それを本気で言った者はほとんどいなかった。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 185 2. より
「(主題)私は神の平安を望む。」 この言葉をただ口にしたところで何の意味もない。 しかし、それを本気で言うことはすべてに値する。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 185 1. より
神の平安を望むと本気で言うことは、一切の夢を放棄することである。 この言葉を本気で言う者は、誰も幻想を望まないし、それゆえに幻想をもたらす手段を追求することもないからである。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 185 5. より
今日の練習では、あなたが依然として大切にしている夢を探し出すために、心の中を念入りに検索する。 胸の中で、あなたは何を求めているのだろうか。 願いを立てるときに自分が使う言葉のことは忘れなさい。 何が自分に慰めと幸福をもたらすと信じているのかだけを、よく考えなさい。 (中略) それらは同一のものである。 そして同一であるから、その全部に対し、一つの問いが問われなければならない。 「これが、天国や神の平安のかわりに、私が望んでいるものだろうか」と。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 185 8. より
あなたは神の平安を望んでいる。 そして、夢を追求しているように見えるすべての者たちも、同じである。 心の底から真摯にこれを願うとき、あなたは自分のためにも彼らのためにも、これだけを求めている。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 185 10. より
彼が真摯に求めているなら、レッスンはどのような形をとるにしても、彼が見間違うことのない形で計画されている。 しかし、もし彼が真摯に求めないなら、そのレッスンが受け入れられ、真に学ばれる形は存在しない。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 185 6. より
あなたがほかの目的を大切にしている間は、救済があなたの唯一の目的になることはない。
奇跡講座ワークブック 第一部 レッスン 65 1. より

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